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正眼短期大学より、皆様へ
元気になれる禅語をお届けいたします。
 
一滴の水がやがて大河になるように、
禅のおしえのひとひらが、皆様の心に元気を運んで行くことを願って。
(禅語解説 山川宗玄 学長)
 

zengo blog

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(19)功徳海中不可譲一滴
2020-06-18
功徳海中一滴を譲るべからず
善根山上一塵も亦積むべきか
 くどくかいちゅういってきをゆずるべからず
 ぜんこんさんじょういちじんもまたつむべきか
 
 ー ちいさくても。見えなくても。 ー
 
 
本学の初代学長・梶浦逸外老師が12歳で出家する時、お母様から「底なし釣瓶で水を汲む」話をされました。
このタイトルで本も出版されていますので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 
- - - - -
あるところに億万長者がおり、後継ぎがなかったので、養子を募集した。
たくさんの希望者が集まったが、長者の出す試験に誰も受からない。
どんな試験かというと、底のない釣瓶で大樽いっぱいに水を汲み上げるというもの。
そんなことは不可能である。誰もやりたくない。
長者も諦めかけた頃、一人の乞食のような少年が現れた。
自分には親がなく、ともかく、見ぬ親への親孝行をしてみたいと言う。
長者から、これは親孝行になると促され、少年ははひとり、一晩中水を汲み続けた。
朝、樽からはもう水が溢れているのに気づいていない。
それをまさかと見た長者夫婦に背をたたかれ、少年はやっと手を止め、「親孝行ができた」と喜んだのである。
もちろん、この夫婦には素晴らしい後継ぎができた。
- - - - -
 
病弱だった逸外老師(になる前の12歳の少年)は、この話を聞き、
「もし25歳で死ぬのなら、他人の倍の仕事、倍の修行、倍の努力をすることだ。それを死ぬまで続けよう」
と悟り、実行され続けたそうです。
老師は85歳で遷化されました。150年分の功徳を積まれたことでしょう。
 
「塵も積もれば山となる」、「石の上にも三年」、ブログタイトルの原語である「曹源の一滴水」(第1回参照)。
同じような意味の言葉がたくさんあるという事は、それだけ大切という事でしょう。
つまり、小さなことでもコツコツと。
なんの成果も得られないようでも、すべきことは続けてやり抜くこと。
大切だと知ってはいても、はて行動となって誰にでも表れるでしょうか。
 
 
さて、冒頭に紹介したのは、道元禅師の言葉です。
世の中にはたくさんの人がいる。
それぞれがひとつずつ良い事をしたら、功徳は海のようになるだろう。山のようになるだろう。
その海にまた、水を注ぐ必要はないだろう?
その山にまだ、小石を積む必要はないだろう?
否。
それでも私は、一滴の水を加えよう。
砂一粒でも加えよう。
私がやることが必要なのだ。それがまことの功徳につながる。
 
世界中に広がった新型ウイルスは、今も不安を広げています。
「はやく」「だれか」「何とかしてくれ」と、治療法やワクチンの登場を待ち望んでいます。
 
誰か、ではない。
私が、である。
自分は、今、何ができるか、何をするべきか。
たとえ小さなひと粒でも、不可能を可能に変える、幸せの種を誰もが持っているはずだ。
 
(もちろん、皆が治療法を研究しようというのではないが。)
 
 
(18)野火焼不尽 春風吹又生
2020-04-06
野火焼不尽 春風吹又生 やかやけどもつきず、しゅんぷうふいてまたしょうず
 
 ー 風や、いかに ー
 
唐の詩人、白楽天の詩「草」にある一句。
野焼きをして焼き尽くした大地からも、春風の吹く頃にはまた新しき草木が生いる。
本来は3月頃の言葉ですが。
 
新年度が始まったところです。
しかし、その活動が中止されたり延期され、
日本のみならず、世界中が新型ウイルスの猛威にさらされています。
どの国も同じ危さの中にいます。
正にウイルスという業火に焼き尽くされそうだと言っても過言ではないでしょう。
再び生命を芽吹かせてくれる、恵みの風は果たして吹くのか。
 
野焼きによってできた灰が地面に浸み込むことで、ミネラル豊富な土となります。
ウイルスによって日常に様々な不自由が生じています。
不自由などという言葉では片付かない危機的状況は、一刻も早く解消したい。
しかし、この不自由、生活の中で止めてみれば案外どうということのないものもある。
自分でも気づかぬまま、無用な荷物や鎖を引きずっていたことに、
そろそろ気づいたかもしれません。
 
すべてが燃え尽きても、それを力に、
真の春風の吹くころ、大切なものは、本当の願いは、また芽吹くことでしょう。
その風は、私たち一人一人が起こすもの。
さあ、いったいどんな風か。
 
 
(17)鼠入銭筒伎已窮
2020-01-08
鼠入銭筒伎已窮 ねずみせんとうにいって わざすでにきわまる
 
 ー 今できることは何か? ー
 
子年の2020年、皆様良い新年を迎えられたでしょうか。
 
さて、干支に因むとは言え、年初から “ 鼠、銭筒に入って、伎、既に窮まる ” の語は酷だろうか。
銭を入れるための細い筒に鼠が入っていき、すっぽり挟まって前にも後ろにも動けなくなった状態。
鼠は頭が入る穴ならば、胴体は骨を外すなりして抜けるそうだ。
しかし、それこそ図に乗って長い筒に入り込めば、いつか二進も三進もゆかなくなる。
さずがにこのままでは死んでしまう。
さてどうするか?
 
行けると思って突っ込んだものの、身動きが取れなくなってしまっている人は多い。
個人に限らず、この頃の社会全体、世界中にそんな傾向が見られるのではないだろうか。
自分だけの、或いは自国だけの、利益を追求し、脇目も振らずに突進している。
できると信じて走り出すが、いずれ何ともならなくなる。
筒に入る前によく考えていればと後悔しても遅い。
正にその半ばで詰まってしまった今。
 
そこでできることは、ただじっとしていることだけ。そう、待つことだ。
ならば体力を温存し、じたばたせずに待つ。そして、もし体が痩せて隙間ができたら、いざ脱出せよ。
事態を見極め、信じて待つ。
八方塞がりの現実を打開するのに必要なことは、実にこれである。
窮すれば必ず変じ、変ずれば通ずるのである。
 
ところで、鼠は立派な前歯をお持ちである。
コンクリートもかじるこの歯をもってすれば、
頭さえ自由になるなら、竹筒に穴を開けることぐらい簡単であろう。
何でもできる、やれると過信するのも困ったことだが、
この変化、変身が今こそ大事なことではないか。
そして、これが待つことの本当の意味だ。
筒の中で何もできないと思い込んで縮こまっているのでは、真に情けない。
 
一巡して始めに戻った子年、先ずは新たな気持ちで立ち向かいたい。
 
 
 
(16)千虚不如一實
2019-11-05
 千虚不如一實 せんきょいちじつにしかず
 
 ー たったひとつの真実 ー
 
言葉を上手に操れば、どんなものでも本当の価値以上に見せることができる。
また逆に、良いものをおとしめるようなこともできる。
嘘も方便という言葉はあるが、
大体メッキは剥がれるものだし、他人を蹴落としておいて幸せになる人もいない。
 
偽らない心から出た言葉、
それを正しく呑み込めるか、否か。
玉にするのも人ならば、幽鬼にするのも人。
 
どれほどに巧みな嘘、虚構も、ひとつの真実には到底勝てぬ。
正に真実の本当の強さ、尊さ。
 
 
(15)吾心似秋月
2019-10-02
吾心似秋月
わがこころ しゅうげつににたり(寒山詩集)
 
 
”吾が心は秋の名月の如し” と云える。
 
秋の夜長に空を見上げれば、
ようやく酷暑を乗りきった身体をねぎらうように冴える月。
古来から日本人が愛でた秋の月は、「美しい」という言葉では物足りないが、
言葉にせずとも感じることは皆同じだろう。
 
心もまた然り。
余計な飾りなどを取り払ってみれば、
まっすぐに光を放つ大事なものが、そこにはあるはずだ。
それは、あおあおとした深淵にまでもまっすぐに届く光。
 
あなたは、真に輝いている。
 
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