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公開講座のご感想 2022年度

公開講座のご感想 2022年度
 
受講者の皆様からいただいたご感想を掲載しています。
できるだけ、お書きのまま転記していますので、
表記が統一されていないことがありますが、ご了承ください。
   
R5.3.25 in ぎふ
  • 全てを理解するのは不可能でしたが、禅につながるもの、少しは、解ったような気がします。
  • 一年弱振りに来る事が出来て本当にうれしかったです。ありがとうございました。今日から座禅をします。
  • 坐禅をして、しばらくすると、ふと思いもよらないアイデアが浮かび、行き詰まった問題や悩みを突破できた体験が手応えとなり、近隣のお寺の坐禅会に参加しています。これからも、心を静める機会を取り入れて、自分が周りの方にどうすれば役に立てるか、何を求められているか、何ができるか、顧みる時間に役立ててみたいと思います。これからもご指導をよろしくお願いします。
  • 深い悲しみの淵に立ちしばらくうつむいたままの日々の中、度々、禅のお話しをされる老大師さまのお声に包まれているうちに、ある日彼女が残してくれた数々の詩の中に多くのメッセージを残してくれている事に気付き、ようやく顔を上げ前を見ることが出来ました。ありがとうございます。
  • 実験の時に、目に見えない細胞やDNA(遺伝子)の気持ちになると、うまくいったりします。禅も、科(化)学実験もあるがままを捉える点で一致していますね。ふと気付きました。
  • 仏の教えとか本で読んでいても、何がさとりかさっぱりわかりませんでした。老師のお話を聞かせて頂き、少しでもはげんでいきたいです。
  • 坐禅について、ここまでくわしいお話をうかがったのは初めてでした。よく内容を思い出し、深く考えてみたいと思います。
  • 私は中小企業経営者で74才になります。今回は「どうしたら人生に迷いなく暮らせるのか」という疑問を持つに至り、講座に参加させて頂きました。先生のお話を伺い「毎日を座禅の心がけで暮らせば迷いも消えるのかな」というのが感想です。先生の講義で漢字の「私」の中に仏があると伺い、目からうろこでした。その時に思ったのが、禅という字は裸に似ている。裸とは生まれたての赤ん坊ではないか、禅は迷いのない子供、だから悩まなく暮らせるのではないか。う~ん、難しい。講演ありがとうございました。次回も参加してみようかと思っています。
 
R5.2.25 in 美濃加茂
  • 十牛図第三 見牛について。牛をやっと見つけたが、それは六根のほんの一部で、見ただけとは?
  • 少し前から、佛陀(ブッダ)の四諦(苦、集、滅、道)の真理をほんの一部学んでいます。
  • 大量の情報を素早く判断しなければならない。仕事生活の中で、先入観や視野の狭いまま、本来の姿を見誤ったまま、流されていることに気づかされます。自分で考え工夫し、納得してうなづいていただけるような修業の機会を日々実践していくことが大事であると思いました。「つかれず」のエピソードが、今日は違ったお話に感じました。
 
 
R5.1.28 in 美濃加茂
  • 生かされていることを毎日思い出し生ききれたら、と、あらためて思いました。有り難うございました。
  • 古希を迎えましたが、イヤイヤなかなかむつかしいです。今後どう生きるか考えたいと思います。
  • 「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」という「生かされている」という所の「入り口」が少し見えた気がしました。
  • 真実を見分ける心を養い、森羅万象、物事全て平等である。明暗一条去路來 我々は生かされている。合掌
  • 生かされているということに気づかされる機会は普段見逃してしまっていますが、精一杯命を使い切る生き方をこれからも学ばせていただき、生かされている感謝ができる場として、通わせていただきたいと思います。わかったつもりのことが、ほんの痕跡を見ているに過ぎないなと思いました。
  • 明暗という言葉に差別と平等の言葉があるということ、その意味をとても分かりやすく説明していただき、とても印象に残りました。現代社会で生きていく中では、自分と他人は別の者というふうに考えがちで、自分自身もそのように他者をとらえてしまっていたので、自分と他者は平等であるということを意識しようと思いました。
 
 
12.10 in 美濃加茂
  • ベトナムの美人の条件のお話が心にひびきました。1.心のきれいな人 2.人の嫌がることを進んでやる人。そしてそれを誇らない人 3.皆から好かれる人
  • ベトナムのパンの話は痺れました。一寸坐れば一寸の仏とありましたが、仏への道は険しく程遠いと思いました。
  • 今日のお話の中に隠元禅師のお名前が出てきて、隠元豆の名前の由来だとは知っていましたが、やっぱり言葉に対しても深い修業の上での語録を残しておられることを知りました。「十牛図」は、自己探求に難しいですが参考になりそうです。今日も、仏教・禅に関するいいお話がお聴きできました。
  • 張りつめた空気は初冬を感じます。講堂の窓から木洩れびが優しく室内に差し込んでいます。空に雲はなく、堂々と新春を迎える為に、構えているようです。人の弱さは、こういった、心を持って、何でもござれの体勢を取ることができなくなっているように思います。いろいろ便利になり、本来人が人のため、家族のために使っていた時間を何に使うべきかわからなくなっているように感じます。新しい発見が少なくなり、ドキドキ感が薄れたからでしょうか。今までに蓄えてしまったものを、一担離して、両手が空いたら、新しいものを、つかむことができます。どなたが云っています。大切なヒントでは、ないでしょうか。自分自身を見つめて、自分を知る。そのために、どんな行動をするべきかを考える。これが正解なのかを確かめる。次に進むべきか、一担立ち止まる。これはムダではない。人生の長い道程の中でどう生きていくのかを十牛図が、手がかりを与えてくれる。良い師につくことは大切ですが、必ず会えるものではありません。運も、機会も、味方にできる人生。人さまざま、どれに出会うことができるのでしょうか。一年間いろいろ教えていただき有難うございました。来年も可能な限り参加させていただきたいと思います。
  • 十牛図(2)第1尋牛について、白隠禅師の絵、本を20代ごろ見た〈縁〉で、定年退職後、60代からふたたび宗教、禅に関心があったと思います。
  • いろんな行き詰まりに際して、迷い出してしまいますが、人としてのあるべき姿に立ち返ることの大切さを思いました。美人の3つの定義こそ、見失なってはならない姿だと気づけました。十牛図の関連した老師様のエピソードやお考えを来年も楽しみに学ばせていただきます。
  • 美人の三条件の話を聞き、女性だけのものと思っていましたが、男性にも言えると聞き、3つとも行うのはむつかしいですが、心をととのえるぐらいはしなければと思いました。
 
11.12 in 美濃加茂
  • 本日のお話で牛をたずねる=さがすとの話がありましたが、自分は迷ったりするので、このお話を何回でも聴いてみるのを心がければと思います。正直1回聴いただけでは分からないので、次回も聴いてみようと思う事ぐらいは決めていきたいです。 毎月坐禅会に参加している寺で十牛図の話があり、今回の講座から十牛図の話になりますときいたので、この講演を聴いてみようと思い参加しました。
  • 十牛図(1)について。最初の(1)で、悟りの世界の内容だとは思いませんでした。目が覚めていませんでした。
  • 秋のひとときを洗心に参りました。老師の動物のお話数々、いやされます。
  • 親孝行を通して、徳積みをしてまいりたいと思いました。
  • 福井のお寺でのニホンカモシカの話、川上哲治監督の正眼寺での修行時のエピソード、そして山川老師と馬との1対1のやりとりの話を聴き、「十牛図」に関係した内容を少し理解できて、楽しい時間を過ごせました。今回もありがとうございました。
  • 十牛図おもしろそうです。講演が始まる前にネットで十牛図を見て、八番が空白になっているのを知りました。そこが修業の道半ばと知り、ハッとしました。いつもより楽しそうにお話される老師にいやされました。これからもよろしくお願いします。
  • 十牛図の教えを、人の育成や価値観の共有に活かせないか、大変興味があります。さらに困乱をもたらすことで目が覚める(覚ましていく)ことは、成長を促すために大切なことだと思います。自分の使命は何か、いかに世の中に貢献できる人となりうるか、しっかり学ばさせていただきます。鹿のお話や乗馬のエピソードは何度伺っても、生き方を考えさせられます。ありがとうございました。
 
10.2 in 美濃加茂
  • 大切な友との別れにより失ってしまった私の大切な世界。大きく空いた心の穴は時を経るごとに深くなるばかりで、老師のお話だけが唯一、現実と向き合えるひとときです。ユーチューブ等でもたやすく聴く事が出来ますが、お姿を前にして聴いているうちにいつのまにか、その苦しみや悲しみは忘れてしまい、お話に聴きいってしまいました。老師のお話を「聴きたい」と強く望んでいると、なんと素直に心にしみ入ることでしょう。そして、悲しさや淋しさの中にあるこの現実も素直に受け入れ、まもなく迎えようとしている彼女の一周忌をおだやかに過すことが出来そうです。
  • 宇宙大自然と会話して生きたいなと思いました。
  • のどの痛みを若い時から感じていました。近頃それは、自分の心の問題ではないか、自分の体調のメーターのように思っていましたが、良し悪しは体の問題とずっと思ってました。違っていたのではないか。歌を歌っていました高校の時、テストでピアノの前で歌うと、声があまり出ない、なんの変りもないのですが、自分が緊張していた、それがのどの痛みであった。これが自分の悪い体調と思っていたが自分自身の問題でした。
  • 山川老師の知人の65才の人について。身体が重くて動けなくても、悩みの解決の道が見つかれば、その後、身体が上手く動くようになる、「身心一如」の考え方を再認識させていただきました。また、世間の様々なしがらみを乗り越えるために「無門関」49則がある。もう一度、最初から学び直したいと思います。
  • 私は初めて参加させて頂きましたので、とても難しくまだまだ学ばねばと感じました。今日のお話をお聞きして感じた事は、昨日行った永平寺のキンモクセイの花と匂いを思いました。山門の上の方にあり、下の方では匂いだけを感じていました。木は上の方で満開でした。ただ、そこにいて、満開の花をつけ、来た人や気づいた人を喜ばせていました。私も、そんな花のような人になれたらいいなと感じました。自分を整えれば光るのですね。頑張ります。
  • 問題を棚上げしたり、先送りしたり、中途半端にしながら過ごしてしまっている生き方をあらためて反省する機会になりました。これまでのノートやご著書を読み返させていただき、一心に燃えて生き切る日々を目指していきたいと思います。どうでもいい情報に振り回されることに気づきながら、本来やるべきことを見失なってしまいそうです。拙い質問をさせていただきましたが、お応えいただきありがとうございました。十牛図とても楽しみです。
 
 
 
9.18 in 美濃加茂
  • 私は、臨済宗を信仰している家に生まれました。ですが、老師様のお話をお聴きするたび、まだまだ禅についての理解度の低さを感じます。でも、お聴きできる度によく理解できるから、あー楽しかったと帰宅できます。「無門関第49則語」の講義も、その後の雑談もお聴きできてよかったです。「十牛図」についても、またわかりやすいお話をお聴きできたらと思います。
  • 今日の「難思」のお話、分かりやすくお話し下さり楽しく聞かせてもらいました。(どろぼうのたとえなど) 第49則、安晩様のお話も難しかったです。大老師様の講座に参加させていただきありがとうございました。
  • 今、政治の信頼が失われ、物価の高騰による経済の不安、また災害の増加など、生きていく事がつらくなるような時代だと思います。そんな中私はどう生きるべきなのか、山川老師のお言葉は難しいですが、何か1つでも道標になればと思いセミナーに参加させてもらっています。ありがとうございます。
  • あっという間の時間でした。自分の曲った心が存在する場所はない様な世界の話。世界には昔からそんな世界が当然あって、私からはほど遠い。多くの人、近くの人を苦しめたり、している自分変えるきっかけを見つけたいと思います。
  • 葛藤することはマイナスなイメージを持っていましたが、自問し受け入れられるように感じました。親切・深切・心切と慈悲は、対心関係において大事にしていきたいと改めて思いました。
  • 老師様に「人をみて法を説け」というアドバイスをいただき、今回の対機説法や葛藤のお話は、さらに考えを深めるヒントをいただきました。アドバイスを求められる仕事が多いなか、つい求められる答を提供してしまい、本人の納得どころか、ネガティブな態度を受けることが悩みでした。葛藤を与える心切、クライアントの慈悲を共に伴走していけるようなあり方を学んでいきたいと思いました。
 
 
7.17 in 美濃加茂
  • 無門関の深い意味に少し近づけた気がします。老師の原点に接することができ貴重でした。
  • とても暑い夏がやって来ました。30年前は暑いといっても33~34℃くらい。それより5~6℃も高くなっています。降るべき雨は降る、しかも、一気に大量に、予想を越えて。生きていくことが大変になりました。心を落ち着かせ、正しく判断ができて、処世ができること。これが大切です。無門関に書かれたことが生かされ、その後の人生に役に立つように頑張っていきたいと思います。
  • 老師のお話を初めて直接聞かせていただき、できれば短大に入学させていただき、日々、考えていくことのできる時間を持てればと感じました。今後、教えをいただきながら、その結果をこれからの自分の生活、社会へのお返しの素としたいと考えました。
  • 数回しか聞かせていただくことができませんでしたが、本日の跋(あとがき)にあったように「無門関」は説明を聞かないと理解できませんでしたが、都度に心新たにさせていただきました。カメムシのお話も「生ききった」と見る心を持つことが大切と感じました。また老師の倒れなかったお話を聞いて、昔、仕事がハードだった時、受け身でいた時ふと「今日はどんな苦情をくれるんだろう」と前向きに思うようにしたら、仕事が楽しくなったことがありました。今日も心洗う気づきをありがとうございました。
 
6.26 in 美濃加茂
  • 坐禅の話があり、他寺での坐禅会に毎月参加していますが、そこで「座」ではなく「坐」の話をしていて、つまり屋根のない所でも坐禅ができる、五感を使って坐禅をするといいとの話がありましたのを思い出しました。
  • 恨みにつくとの話を聴いて、私も子供の時、父親にすごく怒られて、父親が好きになれませんでしたが、今ではむしろ少しずつですが、父親の事を好きになるようにしていっているつもりです。
  • 講義の内容について、白黒がはっきりしていて、禅問答のようにあいまいさが感じられず、一番基本となる法則のようなものだからです。今までの48則は難しく、理解の大変なのもさることながら、あいまいな理解のもつ意味の大切さをもっても、なかなか超えられないものです。夏は気温が高く陽光も享受できるのですが、秋がおとずれ、冬はその次に必ずやってきます。幹が冬に耐える為、葉を全て落とす木もあります。それが、自然の与えているものに対して生きる為に我々が対応できる、本能が働くということではないでしょうか。冬の次には春がおとずれ、葉が芽吹き、また夏が来ます。自然に対応できることが能力として存在するからでしょう。難しいものの中から、何かを見つけ、自分のものにしていくことが大切なのでしょう。
 
6.12 inぎふ
  • 本日の話で「運」と「道」の話がありましたが、運をつかんだり、道を切りひらくには自らも動いたり考えたりする必要もあるなと感じました。
  • 私の苗字には道という字がありますので、とても身近に、そしてとても感動してお話をうかがいました。本当にありがとうございました。人生の半分はすぎましたが残りの人生に生かせたらと思っています。
  • 初めて参加させていただきました。わかりやすいお話しにひきこまれ充実した時間になりました。大道無門もよく目にする言葉ですが、真の意味の一端に触れることができたのは幸いでした。お話をうかがいながら、老師様の人間性の奥深さを感じ、深い修業があってでてくるお言葉だと納得しました。
  • 本を読んだりネットやyoutubeなどで、宗教などから生き方や考え方を学ぶことが出来ますが、直接講演会でお話を伺う機会にはまたいい感動や学びがあり、楽しかったです。本やTVで絵を観るのと本物の絵を美術館で観るのとまた一味違った経験のような新鮮さがありました。ありがとうございます。戦争、コロナなどいろいろ不自由な時代ですが、心を正して生きていきたいと思えました。
  • 高処へ昇る、無心となる、天の声を聴く。
  • お客様と事業や経営の「道」について、語らったり方針を一緒に作ったりする仕事が増えてきました。深切というお言葉に触れて、社員さん、お客様との関わり方を考えさせられました。義を求めていけば道は拓けるとお伝えできるように、自分自身が走っていきたいと思いました。まだまだ人の歩いた道を歩いてしまっていると気付きました。
  • 先日、母方の大叔父(二十三才で戦死)が正眼寺で花園大学卒業後に修行していたことを知り、初めて正眼をおとずれ、Instagramにて短大があり、どのようなことが学べるかを知り、今回はじめて伺うことになりました。”父方”の方は、妙心寺派の寺であるため身近にはありましたが、長男である父が坊さんにはならないと言い、伯父におしつけ(笑)それでも亡父はことあるごとに禅の話をしておりました。(父母は、戦死した大叔父が修業していたことは知らずでした。)いつか勉強したいと思っていましたので、このような機会を頂き、とてもありがたく存じます。
 
 
5.21 in美濃加茂
【第1部 真田幸光先生「真理を求めて」】
 
  • パワフルな講義には圧倒されつつ、参考になることばかりで、少しでも私も高校でパワフルな授業が出来るよう頑張ります。また、ロシアのウクライナ侵攻に関しては、日本のメディアからは得られにくい情報も伝えていただき、感謝いたします。
  • 覇権争いが峻烈に行なわれていることを驚く角度から説明され刺激されました。
  • とても勉強になりました。自分さえ正しく生きていれば良いと思っていましたが、何故世の中はこのような状況になっているのだろうかということが、とても腑に落ちました。そしてこれまで自分がいかに無関心だったか反省しました。ただただウクライナの方々がかわいそうと思ってましたが、鳥のように空から、虫のようにいろいろな角度から、魚のように水の流れを感じながら、世の中の出来事を分析し、正しく理解し、その中で自分はどう生きるべきかを考えていかなければならないと、深く感じました。無関心のつもりはなかったけど、自分の行為が一番つみ深いと思いました。貴重な講義を拝聴できたことに感謝してます。
 
【第2部 山川学長老師「堂々と生きる」】
 
  • 伊藤先生の最期のお話では、命を使い切る大切さ、素晴らしさ、並びに一度きりの人生における「時間の大切さ」をとても痛感いたしました。
  • 生きることは、与えられた運命をどう生きぬくか、死ぬまでに人としてどこまで成長できるか、そのために試練も喜びも存在するのではないかと思いました。いろいろな教えを頂く機会は今日のような場面でもあり、日常生活の中にも多々あるように思います。老師が教えて下さったように、どのような教えに対しても細嚼できるようになりたいと思いました。最期にまわりの方に「ありがとう」と言える人生を送れる人になりたいと思いました。
 
【両講演に】
 
  • 真田教授に解説いただいたように、混沌の度を深める時代の中で、かけがえのない存在として生きていくには、自分に何ができるか、今一日命を使い切って眠りに就けているか、今一日ただ今をかみしめた生き方ができているか、本当の自分を省みながら、進んでいきたいと思えた講座でした。坐ながらにして、言い訳をせず日々打ち込んでいきたいものです。
 
 
4.23 in美濃加茂
  • 「主体的自己の確立」について考えてみます。「枠」を取り除く話しを聞き少し自由自在な気持ちになりました。
  • 雑事に追われ、頭の中がかたくなっていましたが、楽しいエピソードをいろいろと聞かせていただき、発想の転換のヒントになりました。
  • 堂々と生きる→良く理解できました。自分らしく生きます。頂門眼→意識して生活します。
  • 主体的目的を確立し、大丈夫の人となることが、この人生の目標であると改めて思いました。今回も様々なエピソードを例示していただきながら、新しい気付きをいただきありがとうございました。
  • ありがとうございました。
  • 話しを聞かせて頂き、私の人生で過去も現在もこれからも、百尺竿頭を一歩前に進めることは、困難であること、困難であったことをしみじみ深く感じました。ただ一言難しいことだと強く感じました。
  • 令和3年度「窮して通ずる」もたいへんだったが、令和4年度「堂々と生きる」はもっとたいへんになりそうな気がします。よろしくお願いします。
  • いつもありがとうございます。明日からもがんばれそうです。禅とは、主体的自己の確立である。一盲にもならない、衆盲にもならない、頭に入れて行動したいです。
  • 「百尺竿頭」から一歩踏み出して「大丈夫の人」になってゆきたいと思いました。今日も、とてもありがたいお話をしていただき、感謝申し上げます。
  • 禅の心をやさしく分かりやすくお話し下さり、心にしみました。ありがとうございました。
  • 心の眼を正し、常識にとらわれず、今置かれている状況を整理し、一歩を進めることの大切さを学びました。初めての参加でしたが、次回以降も参加したい気持ちが大変強くなりました。
  • 座禅の意味から教えて頂き、初めて講座に参加できたことをきっかけに、一日に一度、こうした時間を持てる心の余裕を持ちたいと思いました。
  • 久しぶりに伺いました。色々な”みどり”が目を楽しませてくれました。老大師さまのお話、今日も楽しく聞かせて頂きました。ありがとうございました。
 
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