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ご感想 2021年度
公開講座のご感想 2021年度
公開講座のご感想 2021年度
2022.3.26 美濃加茂
常に自分自身と向き合い、時に弱い自分に負けてしまう事もありますが、問い続けていきながら、本当の自分を見つけていきたいと思いました。先日、女性7人の集まりの中で「苦労はしたくない」という話が出ました。山川老師のなまこのお話から「苦労は命をのばす」とお聞きし、自分の為の苦労は受け入れて、乗り越えていきたいと思いました。
自己究明ということを、考えさせていただきました。人からの評価におどらされることなく、今ここ、自分が試されることに精一杯取り組んで、少しでも人の役に立とうとすることで、自分の使命を問うていこうと思いました。
”生かされている自分” 講座でお話をうかがうと、すごく納得するのですが、日々の生活の中でその気持ちが薄れ忘れてしまいます。繰りかえし納得し、自分のものにしたいと思います。
前回出席できたのは、令和三年六月二十七日の正眼短期大学での公開講座でした。無門関第三十八則「牛過窓櫺」でした。講義を拝聴して、本当に禅を学ぶということは、深く追求してしていく、とても厳しいものに感じられ、私にはとてもついていけない、無理だなーと半ばあきらめつつ、それでも禅の魅力にとりつかれ、性懲りもなくまた足を運びました。本を読んで理解しようとしてもそこには限界があるように思えます。体験を通してしか得られないものがあるのではないかと。緑蔭講座再開されることを望みます。本日の「他」とは、やはり難しいです。真の自分を探す旅続けたいです。
2022.2.26 美濃加茂
自分ではなかなか読むことが難しい無門関の解説を現代的なお話をまじえ、わかりやすくお話いただき感謝しております。またこのご時世にたくさんの人が学ぶ意欲を持っておられることに感激しました。
窮して変じて通ずる、ことの意味を深める事が出来ました。
窮地に立ったとき、信念をもって立ち向えば、光がさしてくる。何事にも真摯に前向きに生きていくことを大切にしたいと思います。
一昨年に初めて参加をし、その後コロナの世の中になってなかなか伺えませんでしたが、本日、久しぶりにお話を伺うことができ、大変嬉しく思います。いろいろなお話が心に染みました。私も逃げずに進んでいきたいと思います。
困難な状況の時、マニュアルやいろいろな方のアドバイスなど受け頑張った先、それでも道が開けなかったら一度心を無にすることが大切だということでしょうか。「それでも捨てさりなさい」というのは我にとらわれている心でしょうか。困難なことにぶちあたった時そこから逃げず頑張ったあと、心を無にした時道が開かれるかもしれないと思いました。
本気で苦しんで、本気で何とかしようとした者には、”光明”が差し込んでくる。そのためにも、自分自身を”窮させる”のが大切であると自覚できました。
講座に参加させていただき3年になります。この大変な時期に講座を開いていただきホントに感謝しています。
自分にとっての拄杖子、頼り切っているものについて考えさせられました。窮させられることを機会として、可能性を開いていきたいと思いました。切実な思いを打ち明けられた質問がありましたが、老師の力強いメッセージ、教えに、とても勇気をいただきました。私なりに大切な人とも共有し、考えてみたいと思いました。勇気をもって質問された方にも深く感謝申し上げます。
かなり面白かったです。無門関含めて”禅”は、相手との信用関係が圧倒的にないと、逆に成り立たないとも感じました。法燈国師をプロデュースした願性の子孫です。
「いのちは、ずーっと健全だったけれど、それを使うはたらきが、そのときになかったのです。」 いのちのはたらきを邪魔しているものを奪い(岩に根をはる松の育ちを邪魔せず) いのちを深く使うはたらき。いのちを使う別のはたらきを与える。
2022.1.29 美濃加茂
「困った時にはシメタと思え」について、より自分が大きくなる為にチャンスを与えられたとの事。めまぐるしい日々の生活の中では、目の前の事に捕らわれて大局が見えない。ここに禅の心の大切さがあるのかと気付かされました。
セミナーを継続して開催していただけることに感謝しています。
本当によくわかった。心の底から。今をせいいっぱい生きようと思う。
今を生きる。いかされて生きる。道をつくろう。
困るという字、困るのは木でなく人である。木になってみる。木になって今を耐え、せいいっぱい生きる。そこに明日が来る。今日の学びも大きかったです。
最近、仕事上で正に今日のお話「窮する」状況にありました。しかし、ご老師仰るように、まだまだ窮し、新しいものを作るチャンスもあると考えさせられました。窮することは変化に通ずる。また、言葉によって自らが不自由になっていないか、「困った」字のお話にも禅、仏の考え方を学ばせていただきました。
「窮して窮し尽くす、そして変じて通ず」素晴しい考え方だと思いました。今日から、このことを意識して、日常生活を送っていきたいです。
「困った時にはシメタ」と思えという老師のお言葉を常に心に留めておきます。もうちょっとの所で、いつも諦めていたので、とてももったいないことをしていたと分かりました。怪我をした雲水さんのお話や、正眼寺の岩に生えた松のお話など、窮して通ずることを超えた者だけにしか分からないことを、私たちにできるだけ分かりやすく説いていただき、感謝しております。超えることは難しいですが、そのための勇気や希望をいただきました。
精一杯今を生きる話、困っても前に向かっていければと思いました。
国立劇場において「長唄 賤機帯」を唄わせていただき、私の舞台を終えるのを待っていたかのように、ある訃報が入ったのはその二日後でした。友人とも、家族とも、姉妹とも現すことの出来ない存在の方でしたので、それ以来心が乱れ、まさに”賤機織”のようで、我子梅若を亡くした母の想いと重なるような日々の中、心を沈める時間を求めて参りました。摩訶迦葉とは程遠く、お話し下さる事がすべてわかっているはずはないのですが、心は知らない間に落ち着き老師のお声そのものの中に何かを感じることが出来たのかもと、参加させていただいた事によろこびを得ることが出来ました。これまでいつも二人だったけれど、これからは一人でも歩いてゆけるよう、いつまでもメソメソしてないように、その方が背中を押してくれたにちがいありません。
2021.12.11 美濃加茂
今ある課題をしっかり受けとめ、あきらめず対応することで、道が開けてくるのかなあとカエルのお話から思いました。今、私は仕事三昧って感じで大切なことを忘れているように思います。今日のお話の女性のように、定の世界を見ることができたら何かが変わるかと思いました。時間のあるときに坐禅をすることで、一寸の仏になれるように頑張ろうと思いました。
坐禅は吐く息を大切に坐るということを忘れていました。吐く息を大切にして坐ります。
「この世の雑劇の中で、それぞれの役目を果たすことが、仏法そのもの」というお話しが印象に残りました。
「天地が動く時、龍が出現する」の言葉にドキリとしました。各地で地震があります。龍が動いているのでしょうか? それぞれの役目で、それぞれ果していく事が風流。かみしめて、感じてみたい言葉をいただきました。三昧の世界はすべて受け入れ生きる。今の時代にありがたいお言葉いただきました。
三昧。波にのったカエルの話「イカサレテイキル」。大変なお話しでした。
公開講座に参加させて頂く様になって、私の生活が少しづつ変った様に感じます。自分の中の好きな空間や行動や、やりたい事を行動に移す力がついたようです。画や書の好み、書いたり見たりするもの、そして3度目の四国遍路に出かける気持がわいて来たり。今度は太極拳を習いはじめたりと…。少しづつ坐禅が「形」となって表われて来たようです。来年が楽しみです。
本日の話はまとめると役目をはたす話でしたが、ここ4か月ぐらい仕事が忙しく、役目(役割)をはたすことを一つの目標としていきたいと思いました。三昧になる=一つの事を一生懸命にていねいにやる事と私は解釈しました。これを心がけたいです。
精一杯、毎日を生きようと思いました。ありがとうございました。
私の都合により数回パスさせていただき、前より大きく変わった窓の外の木の枝には、葉がわずかしか残っていなく、厳冬から木の幹を守るための準備がなされています。全部の葉が落ちてしまうと、枯れ枝は冬の賑わいとなり、自分の役割を果たします。本日の内容は、比較的、入って行く事が出来そうであるが、奥は深い。仏の世界へ入るには、現世の迷いの心を整理しなければなりません。12月に限らず、心の中の大清掃が必要となります。日頃より”ちり”のたまりそうなところを見つめ、それに対する方法を見つけておかなければなりません。師走の風の中、自分の内心を整理し、棚を空けて、次に入るべきものを入れる準備をしておく必要があります。いろいろありましたが、今年も12月の講義を聴くことができました。
ちょうど最近考えていた事がお話に出てきて、とてもためになりました。日々自分のすべきことを、無理せず行おうと思いました。
三昧は深い。
様々な環境変化に悩む・迷うお客様に関与する仕事をしています。私は何ができるか、なぜお客様は私を頼ってくれるのか、考えさせられるお話でした。自分のできることを見切ることなく、果たすべき役割をしっかり届ける。「今ここ」をしっかり果たしていこうと、覚悟できた思いです。私も、お客様も、一緒に三昧になって問題を乗り越えていくことを努めていきます。そうすれば解決よりも、変化や窮状を楽しめるようになれたら、仕事を楽しめるように思えました。
毎日自分の三昧に生きてみようと思います。
「窮して通ずる」 キュウしながら(していても)楽しんでいる!! これが文殊の知恵。そこまで向上が許されるよう精進させて頂きます。
2021.11.13 美濃加茂
命あって、生活しているのが仏、とのお話に、すくわれた気がします。ありがとうございます。
達磨大師の掛軸で、教科書で見ていましたが、何をされた方か? 何を伝えたか? を初めて知りました。直指人心 見正成仏
今は私は管理者としてとして仕事をしていますが、次の方にバトンを渡す時が目前に来ています。今日のお話はとても奥深く心に浸みました。業務として引き継ぐことは文書でもできますが、言葉にできない想いを伝えることは本当に難しいと思っていました。しかし、今日のお話をお聴きし、まずは自分がしっかりと今やるべきことをなしとげることが大切だと思いました。今、私はこの立場の中で「生かされている」と思えば何も悩まずとも道が開けていくかも知れないと思いました。
毎日平凡に暮らしている私にとってハッとさせられるお話でした。
「直指人心 見性成仏」よくかみしめていきたいです。一日を生きる! むずかしいです。
無門関とはむづかしい。しかし老師様の説明を拝聴すると意味の深い内容であり、少しでも近づけたら、の思いです。間に合って良かった。
4月から6回目の受講でした。達磨さんのお話はきびしい話でしたが、印象的な物語でした。達磨さんの心を教えられました。直指人心 見性成仏
毎月このセミナーを受講することが日々の張り合いになっています。
本日は仲間と10人で老師の話を聞きに来ました。達磨面壁の話は知っていましたが、老師から聞くと又格別でした。一日一日生き抜く事を心懸けます。
達磨さんで親しまれている達磨禅師を知ることが出来、仏頂面しているお顔の意味がなんとなくわかりました。ダルマの目を入れる祈願は軽々しいものではないですね。
今日の講座のエピソードもなかなか難しい内容に感じました。全ての事が文字や言葉だけでは伝わらない。心で伝わる的は何なのか? 自分自身もっと感受性を磨いて少しでも気づけるようになりたいと思います。
小さな成果にあぐらをかき、「らしくぶって」しまっていながら、漠然とした不安を作りだしてくよくよしている自分の様を重ねました。今ここ、一日一日を磨いていこうと思えました。いつか奥義や使命をもって、壁を破っていきたいです。自分では行きつけない学びを得ることができました。
何で万引きと言うのだろう。どろぼうのお話はすばらしかった。息子への後継ぎの結末おもしろい。
本日は、大変ありがたい講話をいただき、感謝いたします。真剣に物事に取り組まないといけないと常日頃思っていましたが、できていませんでした。今回のお話を拝聴し、自分のあまさを反省しました。次に参加させていただく時には、自分を改めて参ります。
とてもわかりやすくお話しいただけました。老師様でありながら、ありのままの姿を見せて頂いたように思えました。
禅師のなかでもとても大好きな達磨さんについての講義で、聴いていて「さすがなぁ~。」と感心しました。子供の頃に「だるまさんが転んだ!」と遊んだころから、こんな話が聴けるまで、生きてこれたことに感謝です。達磨さんが、苦労して仏法を伝えてくれたからこそ、自分の人生で、何度も達磨さんに出会うのかもしれないと思いました。
「明日は分からない」確かその通りと思う。このことをしっかりと踏えて今を生きようと思いました。
2021.10.3 美濃加茂
今回の講座の中で「一日不作一日不食」という言葉に興味を持ちました。私自身はサラリーマンで、普通に働く事で当たり前のように給与をもらい生活できている事になかなか気づかないでいる自分に、改めて気づかされた気がしました。
「禅定」生かされていることに気付くこと。自然と一体になること。少しわかりました。他にもいろいろ気付くことがあり、感謝です。
あっという間のお時間でした。
難しすぎて意味がわからなかった。これからの自分の勉強の第1歩にしようと思います。
明日で60、還暦となります。一つの区切に深いお話をお聞きし、大変参考になりました。「座」「禅」の境地になれるよう精進いたします。
人生の中では選択しなければならない時が何度もあります。私もあえて難しいと思われる道を選んできたように思います。その中に大きな学びがあるという事ではないかと思いました。
百丈師に問われて、私は「その場のその水差」と向きあって、第一声はアアという音しかなかったが、霊祐和尚は水差をケトばして去られた。百丈師と霊祐和尚の充実した交流の積み重ねもまた「ケトばして去る」の背景にあるように感じる。全くの誤解だろう。▶また、一日不作一日不食と不働不食はちがうというお話し。その人(自分)
の
なすべきことをしないまますごせば食べるな。「の」の有無が問題。▶一人でイサンに入る。霊祐師は未だ百丈から出ず。當陽ノ一突の重さ。弟子の霊祐。百丈・重いと軽いの二は一である。また、父ー子の才一がここにある。
無門関第四一則、大変むつかしく思いました。わかりやすかったのは雑談? 生きていることの役目 人の生きるつとめ 今年5月に母を亡くし、母は立派に役目をはたしたと今までとは違う思いをもつ事が出来ました。
初参加です。いい時間を過ごさせていただき感謝です。
毎回ありがたく参加させていただいています。次回は仲間と一緒に参加してよろこびを共有したいと思います。
一日不作一日不食のお話を聞いて「徹する」ことが大事なのだと知りました。祖父の死の際に立ち会うことをしなかった私にとって、後悔の念がとかれるようでした。感謝 慈悲の心が芽生える瞬間のお話 景観を交えて憶えていらっしゃる。そういうものなのかなあと思いました。「生きている」のではなく「生かされている」役目を実感する。そのような体験をしてみたいと思いました。
一日不作一日不食の話しから、禅定の話しへの話しのながれ。とてもためになりました。
老師様のお話しはいつも「あぁ、私はこのお話しを聞かせて頂く為に来たのだなあ」と、胸にすっと入るところがあります。
40則の
趯倒淨瓶について。
淨瓶をける気がまえで、毎日、目の前の仕事を自分のこととして修行しているか、させてもらっているか、と問われていると思いました。
老師のお話を聞き、ほんの少しの時間でも良いので、毎日坐禅をするようになりました。これから会社を登記して、新しい人生の一頁を踏み出す力をいただいたような気がいたします。
「禅定」について老大師の経験された「しか」から「も」への変遷のエピソードはわかりやすく、多くの示唆をいただきました。
骨山+関山=努力が大切と言うことを知りました。「しか」が「も」に変る努力ですね。頑張ります。
ワクチン2回打ったので、久しぶりにおじゃましました。知っている話もありましたが、感じ方が違ったので、勉強になりました。
坐禅を続け「体が無くなる感覚」を体験したいと思いました。
2021.7.18 美濃加茂
私の家も火災にあい全焼しました。その時ご近所の方や周りの方に迷惑をおかけしましたが、何より皆さんの温かさを思いしらされました。多くの方々が力になってくださいました。老師のお話とは違うかもしれませんが、その方々に報いるためにも今の仕事をしっかり頑張らねばと思っています。話堕とは頭でわかっているだけではだめ、行動を起こすことが大切なんだという事を今日は学びました。私にできる事で頑張っていこうと思いました。
言葉の大切さとは、自分の発した言葉に責任がもてるか、相手に真意が伝わるように発しているのかだと感じました。
本質をつかむにはもっともっと真剣にならないと思いました。
第三十九則も人生の教訓といいますか、人間の真理のような内容と感じました。ずっと昔から人間の本質は大きくは変わらず、それをきちんと捉えられていたことに感嘆します。”災い転じて福となる””困った時がチャンス”という本講座で仰られた言葉にはげまされました。頭では理解しており自分でも己に言い聞かせていますが、それでも現状を上手く捉えられない最中でした。
口先だけでなく、全身全霊で実行できるようにと思いました。
坐禅をすること、お経を読むことを普段の暮らしの中に取り入れていますが、生き方を変えるようにしなければならないと改めて気づかせて頂きました。心のドアを開け、さらにまわりの枠も外せるよう日々努めていきたいです。
本日のお話はとうとうとして流れて行きました。半分わかって半分は次に回そうとしています。次回のきっかけを残せば、それも可。でもさっぱりでは、次回と考えるのは心苦しい。迷いの中にいる自分に気をつければ、ひとつ次への機会となるものがあれば、それでもそれは可と思います。明日はわからないが、転機のもとになれば、本日のお話が大変役に立ったものととらえることができると思います。
「話堕」話の表面だけを捉えて否定してしまうと進歩がない。話の本質がどこにあったかよくふり返るべき。生活の中でよくあることだが、ついつい早く事を終らせてしまうことを反省しています。般若心経もその本質を考えながら唱えたいと思います。ジャズの話も素晴しかったです。相手へのリスペクトによりドアが開きますが、その先にはその枠を無くせば更に心の通いあう演奏になるとのこと。また、羽島の工場の火災に際し「おめでとう良かったね」から災い転じて福となす、用處孤危。最後の山岡鉄舟の桃太郎の話、無舌居士。すべてのお話から、日々の生活を丁寧に生きることを再確認しました。
ジャズメンと老師とのやりとり、及びジャズメンのジャズの本質を語った内容には、日頃ジャズが好きで聴く機会が多い自分にとっては非常に興味深く、改めて禅とジャズとの関連について考えることができるようになった気がします。
39則(雲門話堕)のなかの孤危。ただちに、気づき、行なう必要を感じました。自分の殻を破ることは、たいへんなことだと思いました。
”ただちに働く” 心にとめて物事にあたりたいと思いました。
前回の牛のシッポが窓に残る話、今回のジャズの名人がドアを開けてさらにその上を行くには枠をはずすのが必要という話、大変印象に残りました。
本当に自分のものになっていなければ堕であることを知りました。
話堕の意味が、山川宗玄老大師の例え話を聞いて本当に良くわかりました。勇気がわきました。今回は2度目の参加でしたが、機会があれば是非次回も参加したいと思います。
今回の内容もいろいろと考えさせられる事が多かったですが、目の前の困難に屈する事なく、努力する事で道が開けるいうメッセージを頂いたような気がします。そしてこのメッセージを自分自身が実践するようになりたいと思いました。
人に話すときは、分かってもらうことをあてにせず、相手に伝わるように言葉を選んで話すべきで、伝わらないのは伝わるように話すべきと言われます。その意味で禅問答はそぐわないと思います。文字にしただけでは伝わらないからです。言葉どおりでないということでは、前に信じたり、感じ入った言葉でも、その後厳しいことが続いたり、自分の思いと反すると逆転したりもします。本当の意味を理解して、自分のものにしないと、そういうふうになると思いました。話す方も聞く方も賢くないと、こじれてしまうムダ話になるなあと感じました。
初めて質問をさせていただきました。人をみて法を説けというお言葉と直ちに手を打つために話堕に陥らない心の持ちようを学ばせていただきました。次回までに、自分なりに心から語れるよう、何度も考えてみたいと思います。
2021.6.27 美濃加茂
最近私が感じたことに、苦しみや悩みは「自分」にとらわれているからだという事でした。毎回こちらでお話を伺うたびに「自分の欲や自分がこうしてほしい」という思いをすてた時、心が楽になったという経験があります。本日の「尾巴」はさらに深い教えがありました。次々と起きる問題も自分の心の中の問題から起きていると考えると納得できました。
その心を成長させて頂くために苦難があると考えると、今起きている事にも感謝したいと思いました。最後にお話しいただいたひきこもりのケース、仕事柄多くかかわっています。8050問題として社会問題にもなっています。良い解決の糸口を見つけていければと思いました。
見性についてのご説明ありがとうございました。
わかりやすい例え話もたくさん入れて頂き、大変興味深く拝聴いたしました。おっしゃっている御言葉をホワイトボードに書いて頂き、とてもわかりやすかったです。内容はなんとなくわかりましたが、奥深いお話でした。しっぽがあっていいのですね。本日は伺ってよかったです。
午前中、異業種交流会で『幸せ』の議論をして、皆煮つまってしまいました。尾巴子の話を聞いてとても感動し、私では無理とは思いますが、その参加メンバーに伝えてあげたくなりました。
難しい話でした。「牛過窓櫺」。こだわり、自我、捨てきれないもの。最後の自衛隊修行者の話で、少し理解できたような気がします。いずれ死が訪れます。空の世界に進むとはいえ現世のこだわり、不安はなかなか捨てきれません。でも、誰しも通る、誰しも悩む道と理解できました。
今回で3回目。まだまだ難しい内容ですが、難しい中に心の悟り、ゆとりを感じていく自分があります。禅の心に少しづつ導れているようで、他にはない感謝の気持ちでいっぱいです。
今回で3回目となりますが、まだ理解には及びませんが、少しずつ老師のお話から禅の世界、生き方の手掛りのようなことに心が動きつつあるような気がしてきました。
これからの時代ますます自分で考え行動する事が必要だと思います。禅を学び、生きる為のヒントを得たいと思います。
38則〔
牛過窓櫺〕の奥が深いことをかすかに感じました。それの問題点を忘れずに、解決の道をさがしつづけることは、幸せなことなんですよと言われ、少し楽になりました。大きな変化があると信じて。
今日もおもしろいお話をありがとうございました。いきすぎた自我はともかく、尾巴を持ったままではだめかしら…。お坊様はすごいなあと思いながら聞きました。でも、チンパンジーの話を聞いて、オレオレさぎの例え話で、そうではないと思ったり、でも…と思ったり、ぐるぐるしています。きちんと向かい合っていく力をつけたいと思いました。
尾巴は誰にもあり、それを見て見ぬふりをして過ごすのか、それに対して何かの方法を見いだそうと努力するのか。私は前者で、何となく納得させて生きているのだと自覚しました。
しっぽは追い払いたいと思っていましたが、しっぽ(迷い)は残っていてよい。それから目をそらさず乗り越え、成長する糧になるというお話しが印象に残りました。
NHK Eテレで山川老師が出演されていた番組を見たのがきっかけで、講演を聞きはじめました。セミナーで取り扱っている漢文は私にとって正直難しいですが、漢字一つ一つが持つ意味をしみじみと考えさせられるよいきっかけとなりました。
3度目になります。難しい所も多いですが、楽しく聞いていてます。動物好きというのを聞いてうれしかったです。私も動物が好きで工場畜産が嫌になり菜食になりましたが、その頃から仏教を考えるようになりました。また、お話聞きに、たくさん来たいと思います。
私も昔、保育士の頃、学んでいた子どもの発達という観点からの学びで、夏に京都大学の霊長類研究所の公開講座で犬山へ行き、松沢先生の話を聞きました。アイちゃんを見せてもらいました。その後アユム君が誕生したお話がきけてとても身近に感じました。
今日教わった、どうしても残る問題、私ばかりでないらしいということがわかっただけでもホッとした。これからもつきあっていくことになりそうです。
先月につづいて2回目の参加ですが、仏法の考え方をまじえてご説明いただき、テキストの内容を少しながら理解することができたように思います。私にも残った尾のようなものがありますが、それと向き合っていきたいと感じることができました。
無我にはなり切れない。自我やこだわりがもたらす顛倒に気づき、乗り越えるべき本当の問題に向き合うことが、禅の教えを生活や仕事に活かすことではないかと学ばせていただきました。人材の育成や子供との関わりに大きなヒントをいただきました。微力ではありますが、三有に悩み苦しんでいる方々に「資け」られるように、引き続き学ばせていただきます。言葉にできない本当の問題に向き合ってみたいと思いました。
2021.6.12 inぎふ
前回より今回のお話は難しかったです。松の話は、我が身にしみました。自分の行くべき道を自分で収まる処に収まる。耐える時は耐えて、わずかずつ生長し生きて行くのですね。
日々迷うことが多く”本当の私ってなにだろう” ”本当の私の気もちは?”と思っています。今日のお話しで本当の私、本当の気もちを言葉で現わすことが無理なのかもしれないと今日のお話しで感じました。
すべてに感謝!
執着から離れ、無心になる。無欲の集中。
2度目の参加となります。禅語には、聞く側の力も大きく要求されるような気がしました。老師が分かりやすい言葉で話してくださいましたが、初心者の私には良い話だと分かっていても、心にストンと落ちるまでいかず、もったいない気持ちで前回は帰宅しました。これは、分らないなりにも繰り返し公開講座に参加させていただき、禅の言葉に慣れ、心に染み入ってこられるように自分の心を耕していこうと思います。
2021.5.8 in美濃加茂
一昨年のNHKこころの時代を観た事で、同じく一昨年に山県市で行われた講演をききにいきました。それ以降なかなかお話をきく機会がなく、今回日時が合ったのでお話をきいてみたいと思い参加しました。今月に入り、おしゃかさまに関心が出て、時節がら、おしゃかさまの話がきけたらなと思っていましたが、ほんの少しきけたので良かったです。
今で言うところの「ブレイクスルー」という言葉がすでに禅の中にあったのか!!と思いました。禅は哲学なのか教えなのか?今後もいろいろご教示いただきたいです。攔腮劈面拳→これは打つ方が大変ってところに「はっ!」としました。自分に意識が向かって答えを出そうとして苦しい時、なぐられる程の事がおこっても、自分を気付かさせてくれる行為だと思うとありがたく感じます。色んな事は必然におこるので自分も素直にうけとめようと思いました。5分の座禅心がスッキリしました。
眼をきたえたいと思います。
半月前の講堂の窓から見る景色は、明らかに緑が深く、増えていました。自然界の木々は新型コロナを多く含む、風をどのようにして流しているのでしょうか。無理にさからわない。無心でしかも木全体で受け止め、何事もなかったような態度で過ごしているのでしょう。禅那の教えを木の幹が知っている為、受け止め、自然に流すことの極意を行っているのでしょう。無は、何もないのではなく、常に受け入れ可能なスペースを作っておき、それに対処出来るだけの心の準備をもつことが大切と思います。相手に対する思いやりの心は、無言ですれ違った時においても一瞬目が合ったくらいでも伝わるのではないでしょうか。修業をしっかりする時はしっかりと、すると寝る時はしっかりと休み、けじめをつける事は大切な判断をする時に間違いの無い、正確な区別が出来る人となることが出来る。窓の外の緑に対して、講演台の脇の花の色彩が何とあざやかであったことでしょうか。心で来客をもてなしていただきました。講堂の脇の機械もしっかり、安全に対して働いていました。
人生の中で辛いことはいろいろありましたが、辛いことから逃げずに、その時できる事を精一杯頑張ったあと、今までと世の中が違って見えてくるということがありました。コロナ禍で私たちはそこから学び変化を受入れていく時と、今日のお話から深く考えさせられました。
今回もむつかしいお話でしたが、老師の色々な方面からのお話の中で、分ったような、分らないような、でも満たされた気持ちにしていただきました。
深い話だと思いました。自分にとってはわかった様なわからない様な感じでした。えげんさんが村を出る時に、老夫婦の頭を思い切りぶつけて「そこじゃ」という話と共通点がある様にも思えたので、家に帰ってからじっくり考えてみます。
仏教は言葉がむつかしいが判やすくしてくれた。体現まではいかないが、考えるチャンスを与えて下さった。機会があればもっと勉強したい。
Eテレで老師様のことを知り録画、ご本拝読と、何かとふれさせております。老師様の一言一言で心が強くなれてる気がします。これからも勉強させて頂きます。
36則の内容が、演題の「窮して通ずる」に関係するとは、思いませんでした。禅道の不思議な世界の話をふたたび聞きました。次回もよろしくお願いします。
はじめて参加させていただきました。新型コロナはいくたびかのウェーブとなって猛威をふるっています。こうした受難の時節、私たちはいかに生きていけばよいか。無門関は大変むつかしいが、なにか一つの答えがあるように思いました。
「理解する」ことと「悟る」ことは異なるというお話は、それこそ頭では「理解している」つもりでも、その本質を悟る(わかる)のはむづかしそうです。でも目標として見失わないようにしたいと思います。
「攔腮劈面拳」響きました。窮することも縁ですね。
昔の人々のくらしの中でおこること、人との関係、想い、願いが、時として不思議な形で具現化するお話しは、現代でも変わらず人々におこることかなと感じました。想いのつよさが人を変えること。学ばせていただきました。
ここ1、2年はまさに窮し尽くしました。そのなかで農作業をすること、禅について学ぶことに出会い、何とか通ずることができている気がしている昨今です。また参加させていただきたいと思います。
達道の人が親切に導いてくれているのに、それに応えられず言い訳ばかりしている自分がおります。せっかくご縁を得たのですから、何とかせねばと痛感しました。
コロナウイルスが猛威を振るい、地球環境破壊による災害が多発している現在、私達はどう生きれば良いのか、正に私達の変化が求められている気がいたします。変化するためには窮しつくさなければならない。老大師の言葉が強く心に残っています。
全くの初心者で禅に興味があり参加しました。日本一厳しい禅寺と噂を聞いたので、こわい住職がむずかしい話をされるのかと思っていました。実際に聞いてみると、ジョークをまじえながら、わかりやすいお話しで、楽しい時を過ごせました。五分間の坐禅も心地良かったです。
2021.4.24 in美濃加茂
私はケアマネジャーという仕事の中で、看取りのケースも何件かかかわっています。本日の話は腑に落ちました。その方の精神は表面的にわずかでも表われる時を感じます。最期まで耳を傾けていきたいと思いました。犬を助けた方の話ですが、私は、おぼれている犬を助けようとした行動が大切で、「どういう生き方」をするかが大切なので、残されたご家族はお辛いと思いますが、私もそういう生き方をしたいと思いました。
自分の生きている時は、自分だけの物でなく皆の為にもあるのだと思います。
回りに色々な機器が増えており、窓も少し開けてあり、換気、新コロナ対策に十分考えた対応がなされていることにお心遣いを感じます。可能な限り参加させていただきたいと思います。本日の第35則は、大切な事ではあるが、あいまいさを含む、決定を求めているが、実は無いところが禅問答の教科書のようなものです。迷いの中にいる自分が、回りの様子、人の意見、世の動き、流れ等のものを参考にしながら気付くことによって、次の自分を作り出して行くことなのでしょうか。会場の窓から見える木々の葉は風にさからうことなく、ただ右に左にゆれている。これが一番良い対処なのでしょうか。無理に逆らえば枝が折れたりします。自然に流す心、技(業)なのでしょうか。いついかなる時も、回りにまどわされることなく、自然にまかせることが最上なのでしょうか。
去年の岐阜以来、友達に誘われて正眼寺に来る事が出来、幸せでした。悲しい話しもありましたが、人生何が起こるか分からないけど、それにも意味があると言う事、おこがましいですが、人生後半になり少し理解出来た気がします。
倩女離魂はとてもむつかしいお話しでしたが、老師のお話をお聞きしていて、深い所の何かをつかめた様な心持ちです。今日も充実した気持で満たされました。
コロナでいろいろなことが中止になるなかで開催いただいて、ありがとうございました。座禅させていただけるお寺をさがしていて、このセミナーを知りました。
無門関、いつもむずかしいけど、おもしろい。理解は充分出来ないが、おもしろい。
一昨年でしたか、NHKの心の時代という番組で「禅の知恵に学ぶ」と題して山川大師のお話を6回シリーズでお聞きしました。大変興味深く感動しました。録画しましたので何回も見直しました。今回、セミナーに参加させていただき大変勉強になりました。
真底という言葉に出会えた講座となりました。仕事上、自己紹介や経歴を伝える機会が多いのですが、本当に自分自身を伝えられているのか、自分を支えてくれている因と縁、殻ということを伝えられているのか、考えさせられました。お客さんや社会に貢献するために殻を打ち破っていく生き方、それを継いでもらえる人物になっていこうと思えました。
地は身体、水は身体をめぐるもの。火は体温、風は呼吸。地水火風が一散して空に還る。空はそらであり、からでもある。からをぬいで、そらへ還る。大学入試以来使わなかった漢文の中に深い言葉があることに気付くことができました。漢文をまた読んでみたくなりました。こういう勉強を学生の頃にしたら、違った人生があったでしょうね。私は二十年間、小学校の先生をしていましたが、その前は中学の社会か国語の先生をめざしていたので、仏教や歴史、習字が好きな学生でした。いい時間を過ごすことができました。
一日一度は静かに座る。忙しい日々の中でも、一日一度は静かに、自分と向き合っていこうと改めて思いました。私は高齢者施設で働いています。老師様のお話はとても考えさせられました。
2回目の受講でした。なかなかむずかしい話でしたが、公案の話が良かったです。
初めて参加しました。難解なことが多く、理解にはほど遠い感じがしましたが、自分なりに考えてみようと思います。
もう一度、真底について考えてみたいと思います。
初めて参加しました。山川老師様の座禅、感動しました。少し難しい話でしたが、心の中ではしっかり受け止められました。
座禅をして聞く準備ができてしっかりお話を聞くことができました。最近考えることが増えてきたので、今回お話が聞けて自分で今一度考えてみようと、理解が深まって良かったです。先生がかみくだいてお話して下さったので、難しいことも少し理解できたと思います。
一寸坐れば、一寸の仏。静かな時間を大切にしたいと思います。私は天理教の信者ですが、仏教視点からの新しい考え方、物の見方を勉強させていただきました。
「坐にして静まる」澄んだ「おりん」の音と、きっぱりとした拍子木のひびきが、大そうここちよい。又お話しをお聞かせ頂けて良かったです。
真実、本物という事象は、一つではないことを改めて考えることができました。
NHKの心の時代の6回シリーズを見て老師を知りました。来年定年で老後を色々考える中で、こういったセミナーも参考になるかと思い参加しました。話は理解できたとまでは言えませんが、次回以降も参加したいと思いました。貴重な体験でした。
「真底」については難しかったが、よく考えてみたい。名古屋での開催がなくなったので、正眼短期大学まで初めて来させていただいた。新緑が美しく、整然とした美しいところでした。この4月から老年の域に入った。殻が新しく変わったので、この先を楽しみにしたい。
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