梅雨明けもちかい季節ですね。
正眼寺では、きれいに蓮の花が咲きました。
毎年7月10日、正眼寺では舎利講が行われています。
この時期は七月盆間近で、禅寺では安居が終わる自恣の日に「山門施餓鬼」を行うことが多いのですが、
正眼寺は、檀家をほとんど持たない寺でありますので、この日は、舎利講と施餓鬼をかねて行われます。
今年7月10日は、学長老師の毎週水曜日の授業に重なってしまったため、短大生も
授業の一環として、この舎利講に参加、参列させて頂くことになりました。
舎利とは、お釈迦様の遺骨のことであり、舎利講とは(舎利)をおまつりし、その徳を慕う行事です。
お釈迦様は2500年前、インドのクシナガラで涅槃に入られました。
「大般涅槃経」によると、そのクシナガラ付近にいた部族、マッラ族により葬儀が行われ、
迦葉尊者により荼毘にふされます。その後お遺骨は、八部族に分配されます。
その後、アショーカ王によってご遺骨は掘り起こされ、八万四千に分けられたと伝えられています。
つまり仏舎利は、世界に無数に拡散しています。
お釈迦さまが、亡くなられて、現世に残されたものは、大きく分けて二つあります。
一つは、お釈迦さまへの記憶や教え、これらが経典です。
そしてもう一つが、亡くなった人間が唯一物理的に残せるもの、それがご遺骨であり、
これら仏舎利、そして仏舎利をおさめる仏塔が、積極的な崇拝の対象となっていきます。
つまり、経典と舎利が、大乗仏教の信仰対象のソフトとハードというわけです。
うんちくはともかく、法要のあと、学長老師から講話を頂きました。
正眼寺の舎利講因縁の話では、廃仏毀釈の明治維新後、濃尾地震後など
多くの人らの篤志によって、正眼寺が守られてきたということです。
修行道場を維持するために、のべ30万人の方々の人足があった時期もあるそうです。
それらお寺護持のために尽くして下さった先亡の方への感謝の意味もこめて、そして
現在も正眼寺の護持に力を尽くしてさる地域の方々の先祖の供養も含めて、
舎利講のあと施餓鬼会も行われました。
お寺を護持してゆく人材を育てるのが、短大の役割でもあります。
いやお寺だけでなく、三宝(仏法僧)をまもってゆく人材を育ててゆく場であります。
今日の舎利講は、改めてお釈迦さまや、先の善朋の方の遺徳を偲び、
改めて仏道のありがたさを知る厳かな行事になりました。