短大は、夏休みにはいりました。
学生のみなさんは故郷に帰り、教職員が交代勤務に入りました。
短大は、いつもより増して閑かです。
もう一つの林の向こうに、正眼寺(正眼僧堂)があるのですが、
あちらも、夏の安居(あんご)が終わり、修行が緩やかになる期間です。
正眼寺は、ほとんど檀家を持たない寺ですが、八月も1週間が過ぎ、
近隣のお寺では、お盆行事である山門施餓鬼会、そして棚経が始まりました。
ブログを書いている筆者も、近隣寺院に属しているため、盆のお参り真っ最中の期間です。
先日放送された「こころの時代」のなかで、学長老師は、「三昧」(ざんまい)
についてお話されていました。お経や掃除をする体験の中から、三昧について語られていました。
お盆のこの期間は、本当にお坊さんたちは、お経三昧になります。
この岐阜近隣のお寺の施餓鬼会は、法要を一軒ないし、数軒ごとに行うので、
半日近く同じお経を、繰り返し読み続けます。
お経を読誦していたはずなのに、長時間かつ何度もよんでいるうちに、
お経をよんでいるのか、他のひとのお経を聞いているのか、わからない境地に達してくる。
自分の出している声も聞こえてくる。
最初は法要中は、暑いなぁ、まだまだ長いなぁ、とか分別も湧いてくるのですが、
有る時を境に、余計なことを考えなく、ただ、ただ読む。
自他の区別?、言い換えれば主体と客体の分別がなくなるとでもいうのでしょうか、
ただただ、お参りの人がどんどん来られるから、決められたお経を読み続ける。
本堂の前には、七如来幡(しちにょらいばた)が掲げられ、お経をよんでいるお坊さんらは、
ほとけさまと一体になる施餓鬼です。
もちろん、参拝する人らも、
「南無十方仏 南無十方法、南無十方僧
(なむじほうふー、なむじほうはー、なむじほうせん)」
など、施餓鬼会には、三帰依受戒の意義もあります。
どうぞ、みなさま、お盆にはお寺のお施餓鬼にお参りして、
焼香、水向けして、餓鬼に施しをして、善業を積み、ご先祖さまの供養、七如来のご加護があらんことを。